SD閑話-寄稿-1 2010年8月30日
末武 透(システム・ダイナミックス学会会員.)
タイトル:「エッセイ “SD学会ソウル国際会議”」
システム・ダイナミックスを介しての友人である末武透氏が7月末にソウルで開催されたシステム・ダイナミックス学会(SDS)ソウル国際会議に出席されたと聞き、その様子をお聞きしたいとお話ししたところ、エッセイを送っていただきました。末武氏は古くからのSDSとSDS日本支部の会員で、現在は海外でのODA業務にシステム・ダイナミックスを活用されているSDの実践家でもあります。今回のエッセイではSD学会ソウル国際会議の様子に加えて、海外生活で感じる日本文化についても触れておられます。
なお、SD学会ソウル国際会議に関する詳しい情報は下記のURLでご参照下さい。
http://www.systemdynamics.org/conferences/current/index.htm
(松本憲洋)
今回の会議での事前登録者が39ケ国303名、私のような当日の参加者も入れるともっと多くなると思われる。うち日本人参加者は8名、私を入れて9名になる。通常は3〜4名程度の参加なので、隣国ということもあって参加者が増えたのだろうと思われる。
私は、しばらく、仕事とのスケジュールが重なって国際会議に出席できなく、いつも悔しい思いをしてきたが、今回参加でき、いつも参加されている山口先生、内野先生、町田先生、高橋先生といった古い馴染みの参加者に久しぶりにお会いできて嬉しかった。日本人同士なのに、こんな国際会議でもなければ合えないというのも少し妙なものである。
会場はソウル・オリンピック会場跡で、現在はオリンピック公園という名称で、スポーツ公園となっている。韓国に観光旅行をされた方であれば、ロッテ・ワールドがある駅の隣駅というと分かりやすいかもしれない。ソウル市南東地区にある公園である。公園はかなり広く、丘あり、大きな池や川があり、ソウル市民の憩いの場になっている。公園を囲んで2つの地下鉄の駅が隣接し、少し離れてさらに2つの地下鉄の駅がある。最初に会場に行こうとして、オリンピック駅が会場に行く最寄りの駅かと勘違いし、そこで降りて、会場を探すのに苦労した。オリンピック駅は公園を挟んで丁度会場とは反対側で、最初なので、公園の案内の看板が見つからなく、道行く人にも、駐車場のガードマンに道を聞いても、英語が分からないというしぐさをされるだけで、途方に暮れてしまった。やっと、公園の反対側ということが何となく分かり、公園を横切ったが、とにかく広く、古墳が見つかったという丘あり、水車があり、石橋がかかっている広大な池ありで、直線的に歩けなく、会場を探すのに2時間もうろうろするはめになった。
会議はメイン・ゲートの近くにあるパーク・ホテルを借り切って実施された。参加者のほとんどはそのホテルに宿泊したが、ただ、裕福とは言えない私の場合、あまりお金を使えないので、会場のホテルではなく、ソウルの下町地区にある1泊3千円程度の安宿を探し、そこから地下鉄を乗り継いで、約1時間半かけて通勤した。
下町の安宿に泊まるというのも面白いもので、周囲は繁華街ではあるが、韓国語一辺倒で、英語は通じない。店の看板も、食堂のメニューも全て韓国語である。食事をしようとしても、言葉が通じない、意味が分からないで、注文できなく、しかたがないので、ほとんどは駅の前にあるパン屋でサンドイッチとミネラル・ウォーターを買って済ました。ただ、会場近くの食堂は、英語も、何故か日本語も通じ、会議が開催されるようになると、会場近くで食事を済ますことができ、あまり食事には困らなくなった。荒木先生という、今回初めて参加された方と久しくなり、一緒に会場近くの食堂で、冷麺を食べようということになった。レストランで、英語で冷麺を注文しようとしたら、「日本語で言って下さい」と怒られてしまった。
会議前日の日曜日はPh.
D. Colloquiumという、院生の研究発表で、それに、SD研究の第1人者が招待され、院生向けの指導を目的とした講演が加わる。今回はErline
MoxnesとAndrew
Fordが招かれ、院生たちの研究の進め方の参考になればと、自分たちの研究の進め方について紹介していた。日本の学会の全国大会などに参加すると、学院生の研究発表を聞く機会があるが、準備不足、テーマの追及不足といった甘さが目についてしまうのだが、SD学会のPh.
D. Colloquiumでの発表では、かなり準備がされ、テーマが追求されていることにいつも感心させられる。少しでも準備不足や追及不足の研究発表は、Colloquiumのポスター・セッションに容赦なく降り落とされてしまう。Colloquiumのポスター・セッションではあるが、タイの大学に留学中のネパール人学院生の、ネパールのゴミ処理問題に関する研究発表が私には面白かった。これは、現在、私がネパールで水道関係のプロジェクトに参加していて、ネパールということでの関心から、発表を熱心に聞いてしまったからでもある。
会議は月曜から水曜までの3日間で、プレナリーという全員を対象にした発表が午前と午後に2回あり、その間にやはり午前、午後と、パラレルという部会発表がある。そして、昼食休憩も、SDソフトを紹介するセッションや、研究部会の集会など盛りだくさんで、昼食を取る時間もないくらい、どこかで何かの発表や会議が行われている。昼食を利用しての会合では、主にSIG:
Special Interest Groupと言われる、いわゆる研究分科会での、同じ研究分野の仲間が集まって、研究分科会をどうするかという話をする会合と、円卓会議という、だれでも自由に参加できる、テーマに関してざっくり何でも話すという会議の2種類がある。円卓会議では、私は軍事関係のものと、参加型モデル開発のものの2つに参加した。参加型モデル開発は、私も仕事で使っているが、発案者のジョージ・リチャードソンの意向は、約10年前に、参加型モデル開発の手法についていろいろ発表し、それ以来実践をかなり積んでいるが、どうもいまいちSD研究者の関心が高くない。有効な手法なので、もっと広まっていいのではないか、もっと活発な意見交換や討議があっていいのではないかというもので、簡単な紹介ビデオを編集して、関心のある研究者に紹介しようという話になった。最初に話を聞いた時は、ビデオを使い、プロジェクターでスクリーンに映し出しと、かなりハイテクを駆使して参加型モデル開発をやっていて、そのやり方を広めようとしているのかと思ったが、リチャードソンに直接話を聞いたら、壁に要素のカードを貼り付けて議論しながらフィードバック・ループを決定していくなど、私がやっているローテクを駆使したやり方と同じであることが分かって安心した。
今回の初日のプレナリーの発表は山口先生のマクロ経済モデルの話だった。内容は、通貨である紙幣、つまり銀行券は、実は民間資本の中央銀行が発行するものであり、総合的な視点で経済をコントロールさせるメカニズムが欠けている。従って、通貨発行を、総合的な視点で、かつ、中央政府が実施することが望ましいということを、SDモデルを使って説明された。
近年の国際会議での研究発表では、大学院生のもの、前進的で野心的な研究であればそれを取り上げ、プレナリーでも発表させ、先端性を強調する傾向になるが、今回はどちらかと言えば、古くからのいわばベテランのSD研究者の発表がプレナリーでは取り上げられ、ベテランたちが考えていることが紹介された。
2日目のプレナリーでは、スターマンの温暖化問題に関する発表であった。スターマンは、MITで講義が一番うまい先生という学生の評判で、発表自体はとても面白く、説明もうまいのだが、テーマや内容的にはあまり斬新という印象を受けなかった。
少し研究テーマの追求が弱いもの、準備が少し不十分な研究は、ポスター・セッションに振り落とされるのだが、逆に、少し研究テーマの追求が弱いもの、準備が少し不十分な研究であってもポスター・セッションで拾ってもらえるというメリットがあり、学院生の研究発表に絶好の機会を与えている。近年はさらにK12という、教育関係で門戸が開放される傾向にある。今回、台湾の高校でのSD研究が多くポスター・セッションで取り上げられた。教師による台湾の高校でのSD教育の様子の紹介、そして、高校生が、自分たちのSD研究の成果をこのような国際会議の場で堂々と発表していたことが印象的であった。
私はSDの研究そのものよりも、むしろSDの適用に感心があり、SDの軍事への適用にも感心を持っているが、今回のポスター・セッションでの研究発表の中で、近代の軍事活動は、かっての純軍事活動からむしろ平和維持活動に中心が移っていて、戦略や戦術、使用する武器や機材が変わっていること、兵士や指揮官の意識改革も含め、変えなければ効果的な平和維持活動ができないということを、SDを使って解析し、意識改革のツールに使ったという研究が面白かった。
開催地が韓国で、アジアということを意識したせいか、「東洋思想とSD」と称する部会発表がピレナリーでもあり、発表部会も特別に設けられたが、そして、発表された内容が理解できなかったわけではないのだが、どうもこの手の研究発表で感じさせられる、「だからどうなんだ」という感想に陥ってしまった。哲学や思想をテーマにした研究では、対比だけで終わってしまいがちで、ヘーゲルではないが、例えば対比関係になるものを包含し、統合し、新しい段階に発展させるというところまではなかなか研究を深められない。ここに、この分野へのSD適用の難しさがあるように思われる。
会議2日目の最後は夕食会が設けられ、韓国の音楽が紹介され、マッコリという韓国のワインが提供された。韓国音楽の紹介の中で、有名なアリランの琴演奏が紹介された。最初は歌による伝統的なアリラン、次いで伝統的な琴の演奏によるアリラン、そして最後は、琴演奏ではあるが、西洋音楽風にアレンジされたアリランが演奏された。この演奏は、ハープによる演奏と聞き間違うほどいい演奏で、とても楽しめた。今回提供されたマッコリは、特別なもので、栗で味と色が付けられた黄色いマッコリで、とても美味しかった。マッコリは白濁酒だけかと思っていたが、いろんな種類があるものだと新発見だった。今回の国際会議では、これだけではなく、SD韓国支部の、韓国文化をベースにしたもてなしをいろいろ楽しめた。研究発表の間のコーヒータイムでは、コーヒーだけではなく、桃茶(ただしインスタント)が振舞われ、また、韓国のお菓子やスナックが提供された。韓国のお菓子は、基本的には餅と餡子なのだが、色とりどりで、つい、これもあれもと試してしまい、それだけでかなりお腹いっぱいになった。
4日目はワークショップに当てられていて、いろんな面白いワークショップが目白押しに並んでいた。私は、山口先生のマクロ・モデルのワークショップと、SDモデルの文書化ソフトのワークショップに参加した。山口先生は、近日中にマクロ・モデルの本を出版される予定とのことで、今回はその本の原稿と、中で取り上げているモデルを全部ワークショップの中で紹介され、コメントして欲しいと言われた。山口先生の約10年間のSD研究の結晶とも言えるよくできた内容であり、マクロ経済のしくみが、最初は簡単なモデルから始まり、徐々に要素を追加しながら、マクロ経済のしくみを解説している。また、モデルも全部提供されていて、自分でシミュレーションして、もし、ある条件(例えば、金融政策)を変えたらどうなるかを自分で確かめられる。サイード先生やアリ先生などSDの大物もこのワークショップに参加していて、「うん、これがまさに自分が教育用に欲しかったマクロ経済のモデルなんだ」と、しきと感心していたことが印象的だった。
5日目はボーナス・デーということで、今回は広域の研究部会設立のための討論会が設けられた。SD研究はどうしても研究者、留学生の多さから欧米中心になっているが、環太平洋アジア地区の研究分科会のようなもの、近隣地区の研究分科会あるいは研究者の交流会のようなものがあってもいいし、会議の機会が増えれば、研究者の発表の機会も増えるし、第一、近隣地区であれば、会議への参加費も安くて済む。時差にもあまり苦しまなくて済む。また、国際会議では欧米人が興味を示さない内容はなかなか採択してくれないが、国際会議では採択されにくいテーマの研究、例えば地域の特殊性を取り上げたものも取り上げられるから、是非、交流会のようなものを研究分科会という形で立ち上げようという討議がなされた。
私は、会議終了後も1日滞在を伸ばし、ソウル観光を楽しんだ。あいにく梅雨の時期で、小雨が降り、曇りで、しかも高湿度で、あまり快適ではなかったが、宮殿と隣接する博物館を見て歩いて楽しんだ。韓国では、国立博物館は入場料が無料で、展示も充実していて感心させられた。中央博物館も行きたかったのだが、宮殿があまりにも広く、しかも博物館の展示も充実していて、歩きつかれて、ついに中央博物館にまでは行けなかった。また、パフォーマンス・アーツとして、山口先生と共に、韓国の近代コメディ・ミュージカルである「ナンタ」を楽しんだ。「ナンタ」は、乱打という意味なのだそうで、レストランに勤務するコックたちを話題にしたコメディである。
少し古くは、「冬のソナタ」など、韓国文化に日本で触れることが多くなってきたが、こういった、韓国外に輸出される韓国現代文化に対し、近似性と異文化性が微妙に混在し、そこにかなりの活力のようなものを感じてしまう。逆に、日本の現代文化にはむしろ希薄性や透明性のようなものを何となく感じてしまう。
現在のネパールのプロジェクトに従事する前までは、かなり長くフィリピンのプロジェクトに従事し、そこで、例えば、地方都市で売られている海外ドラマのDVDを目にする機会が多かったのだが、欧米のTVドラマに次いで中国製、そして韓国製のものが多く、韓国製のこの手の国際社会(?)での特出ぶりに気付かせられた。フィリピンの片田舎で韓国製のTVドラマのDVDが売られているとは、それも1種類だけではなく複種類の、という驚きがあった。文化が国内的にも国際的にも存在を続けていくためには、近似性と異文化性が微妙に混在し、そこにかなりの活力のようなものが存在することが必要であり、それが文化を存在させ続けるように思っている。海外の視聴者にも理解でき、しかし地域的な特殊性もあることで独自性がある、どこにでもあるかもしれない共通理解可能性に、しかしそこでしかない特殊性による味付けがある、別の言葉で言えば、国内性も重要であるが、国際性が混在することも持続性の上で必要なように思われる。翻って、SD学会日本支部の国際性への抵抗感、あるいは無関心さのようなものに危惧を感じ、さらには少し迷惑に思うことすらある。
SD閑話-寄稿-1 了
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